103.千引の石
 チビキノイワ 

〜創造主への拒絶、恩恵への拒絶〜
拒絶というのは、私たちの魂が創り出し体験した、あらゆるカルマの始まりです。何を拒絶したかというと、宇宙創造の心が導く選択です。その導きをいらないもの、氣に食わないものとしてシャットアウトし、自分が氣に食う選択をしてしまったところから、あらゆるネガティブカルマが生まれました。そして、それによって創られた不幸を、自分の拒絶のせいではなく、他の誰かのせいにし続けてしまいました。一度真実を拒絶することが普通になると、あらゆる真実は門扉の前でUターンして帰っていきます。拒絶が私たちと神聖なる意識との間の扉となり、連鎖的なカルマを生み出します。拒絶は私たちが自らの内側に秘める神聖なる直観の声を聞けなくなった、たった一つの根本的な理由です。私たちが真理や内なる神に対して行なった拒絶は、外に投影されて現われてきて、私たちが誰かに拒絶されたという信念を生み出し、そうすることで拒絶の連鎖が真実のように見えてしまいます。私たちに恵みを与えてくれるものの懐に受け入れられていないという感覚ほど寂しく、所在感無く、不幸であるものはないものです。拒絶がそのような感覚の連鎖を創り出し、無価値感や無意味感の一部になっています。これを癒すには、私たちの出会うすべての拒絶は私たち自身がしている拒絶であると氣付くところから始まっていきます。

癒しをサポートしてくれるカード

41番と53番のカードの神様とつながって、癒しの力を受け取りましょう。そしてまず、自分のまわりで、もし自分を攻撃してくる人がいたら、それは、助けを求める声だという真実に氣が付くところから始めましょう。自分を攻撃してくる者を、自分を守るために拒絶するということが私たちには普通になっていますが、それをやめて、この人の痛みを癒すにはどうすればいいか、その人が癒されますようにと祈ることで、一つの拒絶の扉を閉めないで開けることができます。また、どんなに自分の見方が正しいと思える時にも、誰かが自分を無視したとか、誰かが自分を拒絶したように見えた時にも、その人たちの中にある痛みから身を守るためにそれを行なったという見方のみに立ち返り、助けを求める声に耳を澄ましその痛みが癒されることを祈りましょう。そして、それと同時に自分自身が同じような拒絶を行なって、自分を守っているということに、だんだんと氣付いていくことができます。それに氣が付きだしたら、自分は一体何から、拒絶を使って自分を守っているだろうかということを、深い意識から明らかにしてみましょう。そしてその時に、拒絶では自分を本当には守ることができないことがわかってきます。他者にしたように、拒絶の扉以外で自分を守ってくれるあらゆる恵みを自分が受け取ると決め、祈りましょう。そうすると、一枚一枚、拒絶の扉は開いていきます。拒絶の扉ではなく、神なる恩恵が、あなたを癒し、守り、包み込んでくれます。そして、そうやって開けていくと、最後には、自分の内なる神聖さとの間に閉めてしまった拒絶の扉を開けるところに至るでしょう。そしてそこには、自分の神聖さが導く見方が自分にとって不幸であるという、そんな考え方が一緒にこびりついているのがわかります。神聖さを拒絶した最初の理由がそれなのです。その時には、自分の内側の神聖さのひらめきが導く選択を受け入れます、と宣言しましょう。そうすることで、一番奥深いところにある拒絶の扉すら開けることができます。その過程で仲たがいしてきたあらゆる存在との切れた絆を回復できるでしょう。この癒しは、絆の回復でもあります。そして、それに氣が付きながら、まわりの人々に自分自身がシャッターを下ろすことがなければ、拒絶や無視は真実ではないことを伝えてあげて、神聖さとの絆や仲間との絆が回復するように教えてあげましょう。そうすると、あなたは、いろいろなものから助けられ、援助や恵みを受けられる人として成長成功していくでしょう。