107.和豆良比能宇斯能神
 ワヅラヒノウシノカミ 

〜スピリチュアルな感受性から湧き上がる真実を偽る心〜
これは、自分の神聖さの感じる正直な氣持ちを、偽り続けることによって創られたカルマです。スピリチュアルな感受性の部分は憐れみを感じているのに無関心を装ったり、スピリチュアルな感受性は祝福を感じているのに、まわりに合わせて無視をしたり、ひどい時には逆に助長したり、スピリチュアルな感受性の部分は慈愛を感じ、救いの手を差し伸べようとしているのに、実際には放置する態度をとったりします。自分の真実を捻じ曲げてしまったカルマです。このカルマが行き過ぎると、自分のスピリチュアルな感受性が何を感じているかわからなくなってしまいます。特にこれは、他の人に自分を、どう見せようとするかで生まれたカルマでもありますし、本当のスピリチュアルに素晴らしい自分自身を見せないようにすることで生まれたカルマでもあります。本当の自分を見つけるという言葉がありますが、このカルマが解決した時に、本当の自分が見つかります。スピリチュアルな感性そのもので自分自身を生きるということのみが、究極の自分自身です。

装うということのすべては、自分の神聖さやスピリチュアルな感性から生きようする時に生まれる何らかの軋轢などを、自分のスピリチュアルな感情と感性を以って素直に真摯に解決するということをせずに、装うことでその解決から逃げたということから生まれています。私たちのスピリチュアルな感受性は、最終的に、問題を問題のまま創り続けることは絶対になく、不成功を不成功のまま置き去りにすることはなく、不成長を不成長のまま野放しにすることはないのです。ですから、スピリチュアルな感性に生きる時に生まれてしまう軋轢や歪みや抵抗は、自らを改め進化させ成長させ成功させる大切な鍵なのですが、装うことでそれを止めてしまいます。このカルマを解決するために、スピリチュアルな感受性からの自己を調和をもって表現し続けるという決意をする必要があります。もちろん、調和というのはスピリチュアルな感情の一部なのですが、これを意識することは、ことさら重要です。そして、自分の内側にあるスピリチュアルな感情を、十分にあますことなく感じてみます。そして、その後、自分がそれを隠すために、どんな着ぐるみを着込み、どんな仮面をかぶって装っているかを、氣が付くかぎり感じてみましょう。そして、スピリチュアルな感受性の光の玉を左手に、装っているすべての着ぐるみと態度と仮面を右手に取り出します。そして、二つの手のひらを合わせて変容させます。左手は、無限の光の供給源がつながっています。そして変容が終わったら、両手を開いて、新しいイメージとエネルギーを、自分の体の必要な場所に戻してあげましょう。